螺旋階段
ブログを書いている。
性懲りも無く。
過去に何度も何度も繰り返して、幾度となく諦め。
「絶対にもうやらない!!」
と心から決意をしたのに。
こうしてまた同じ景色を見ている。
時に人生を「螺旋階段のよう」と表すことがあるが、もはや登っているのか降っているのかすら分からない。
どちらかと言えば、下がっているように感じているけど、もはやそういう問題でもないらしい。
見飽きたこの景色から逃れることができないのだとして、例えそれが受け入れ難い事実だとしても、「それが運命(さだめ)」だと、いっそ受け入れてしまった方が気が楽だ。
そう思わせてくれたのは「仏の顔も三度まで」という言葉で、これは優しさではなく、「幾度となく繰り返すのであれば、それはその人が進む道なのでしょう」という意味らしい。
例え行く先が、「破滅」だとしても。
16年目の幸せと感謝
今日は、2026年9/11日。
世の中の人は、同時多発テロで覚えていると思うが、我が家は今日が結婚記念日だ。
長男と同じ齢で、長男も今年高校生になり16歳を迎え、そこに中学1年の次男と、小5の長女が続く。
綾小路きみまろじゃないけども。
「あれから16年」
しみじみと感じてみると、あっという間で。
あんなに可愛かった子供たちは、もう可愛くはない。(可愛いけど、可愛くない)
長男の身長は自分を超え見下ろされ、チン長まで超えられた。
次男は思春期真っ只中で、脳みそはゲームとエロで90%を占めている。(通った道だから知ってる)
長女は段々と「女性」になりつつあり、「私の生理はいつ来るのか」と日々聞かれるから、「ママに聞いて」と答える日々。(ママもわからんだろ)
そして、今年は新しい家族。
コッカプーのニーナ(メス)を迎え、男女3:3となった。
そして何より、自分たちが16年も歳をとったことが一番の驚きと恐怖で、自分自身は今年40歳を迎える。
妻は2つ上なので、既に40を越えているから、ここ2年は「40だからな」と冗談を交えていたが、いよいよ自分も踏み込んでいく。
いよいよ40歳になる。
ここに「特別」を見出しているわけではい。
きっと、明日も明後日も、おそらく同じような日々が続き、同じように時が流れていくのだと思うし、そうであると願いたい。
妻と出会い、運よく子宝に恵まれ、こうして人生を共にできることに、ただただ。
幸せと感謝
これだけ聞くと、まるで充実した家族のように思われると思うが、次に触れたくない恐怖をご紹介しよう。
無職じゃない、透明って言って
今は、自営業をしている。
主に軽配送業をメインにしていたが、頼みにしていた仕事が激減し、4ヶ月前に、事実上の「無職」となった。
そして、この景色もまた、「知っている」景色だ。
一番新しい記憶は3年前だが、すこぶる思い出したくない記憶で、全力で魔封波した。(生きているから成功したっぽい)
妻も慣れているわけではないが、見慣れている景色のようで、「また無職?」と言われたから、「無職じゃない、透明って言って」という笑えない冗談に、この上ない冷たい顔で答えてくれた。(ごめんて)
ただ、3年前と圧倒的に違うのは、今は「せどり」なるものをやっていて、その収入で、なんとか4ヶ月間、透明でもやってこれた。
主にメンズアパレルを取り扱っていて、期間は現時点で約1年8ヶ月くらいだろうか。
これ1本で暮らすのは、正直言って無理というか、心許なさすぎるが、それなりにやれば「耐え忍ぶ」くらいのことはできることを証明できてしまった。
実際には、妻がフルタイムで働いてくれているから生活が成り立っているだけで、自分1人では家族を養っていくことができない。
そんな情けなさの上に成り立っていることを、胸を張って言わないといけないが、一応そんなことをやっていて、「メンズアパレルるどり」のリアルもお伝えできればと思っている。
そして、この「透明」に終止符を打つ。
アルバイトでもなんでも、とにかく「働く」。
頑張ろう。
「明日から」
40歳。どう生きる?
何がしたい人生だったのだろう。
そう思う。
40歳に手がかかっていても、脳内は中学生のままで、不幸中の幸いは、性欲が落ちたことだと思っている。
みうらじゅんさんがラジオで、下半身のことを「リーダー」と呼んでいたが、その例えはこの上なく的を得ていて、まさに今、その「リーダー」が、周囲に引退をほのめかしている。
そんなくだらない話を横目に、人生を少し振り返ってみよう。
早く大人になりたくて、23で結婚し、子供を授かった。
父親になったにも関わらず強欲で、勘違いを重ね、人に迷惑をかけ、脛をかじり、自分勝手に生きてきた。
これだけ強欲に生きたくせに。
何一つ達成できず。
何一つ継続できず。
時間だけが過ぎ去り。
そして出来上がったのが、力は天下一武道会の観客レベルなのに、プライドだけはベジータ級のおっさんだった。
せめてもの救いは、なんとか子供を食わせていけていること。
そして、子供たちを社会に送り出すところまでは、なんとか生きていたいと、今は思っている。
「一体この先、どうやって生きていけばいいのだろう」
答えのない問題を、ここ4ヶ月、ずっと繰り返してきた。
見つかるはずもないものを、「ある、ある」と言い聞かせて逃げてきたけど、いい加減自分でも「もうええて」と、なぜか関西弁で語りかけられている。
それでも、ツルツルの脳みそが導き出した答えがある
「自営業とか、会社員とか、フリーターとか無職とか、そういう問題ではない。」
ということ。
結局それは「肩書き」に過ぎない。
問われているのは、ただの「生き方」
もしくは「死に方」なのかもしれない。
自分のようにグダグダ低収入で生きて、今日を生き延びるのもあり。
バリバリ働いて、高級車に乗るのもあり。
アイドルやアニメにお金をかけるのもあり。
自宅警備員もあり。
モハメド・アリ。
どれもこれも、「生きているが故」であって、どんなに人を見上げても、見下しても、ただ死に向かっていき、自己満足で死んでいくだけ。
3世代もすれば、誰も自分のことなんて覚えていない。
リオネル・メッシや大谷翔平クラスなら語り継がれるかもしれないが、人口の99%は、宇宙に戻るだけなのだと。
だから、どんな状況も、陰口も、罵詈雑言もただただ受け入れるだけ。
それなりに抵抗はするけども、最後はそれなりに笑って死ねればいい。
できるならば、家族に囲まれて死にたいと思っているので、神様に「もう少しだけ待ってください」と願うばかりだ。
それでも空は青い
すっかり夜になってしまった。
本当は昼過ぎに書きたかったのだが、サーバーを今日契約してワードプレスを立ち上げたから、間に合わなかった。
今日もしっかりと無職だったし。
明日もしっかり透明だろう。
不安は尽きず、自分の情けなさを、ただただ嘆くばかりで、一向に物事は進まない。
だけど、それでも空は青い。
どんだけ不安で苦しくても、見上げれば空は青い。
そりゃ毎日じゃないけども。
自分の感情とは裏腹に、今日もまた、空は青かった。
2階の窓から見える、この景色を前にすると、全てがどうでも良くなってしまう。
「今、ここで自分は生きている。」
それだけじゃダメなのかと、ついついそんな甘い言葉が頭をよぎっては、そのまま目を瞑ってしまう。
こうしてブログを書けること。
手足が動き、目が見えて耳が聞こえて、家族とぎこちない会話ができること。
新しい家族の子犬、ニーナに噛まれること。
その全てが、ただただ幸せだ。
これ以上の幸せなんてないのに。
まだ何かを得ようとするなんて。
相変わらず強欲なのだと思う。
今日、1つ目の記事を書けたことが幸せだ。
調子に乗ってサーバーを一年契約にしちゃったけど、1年持つだろうか。
まともに継続できたことなんて、一度たりともないのだから。
来年の結婚記念日にも、こうしてブログか書けていたなら、それを「成功」としよう。
そしてどうか、その時は「透明」ではないことを、切に願う。
「1年後の私さん。あなた今。何してますか?」
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